春ハフラ2024終了!
ご参加くださった方々、どうもありがとうございました。
今回は初参加の方が多かったこともあり「バタつくかな?」と思っていたのですが、おかげさまで滞りなくなかなかスムーズに進めることができました。
みなさん「緊張した!」と言いながら、それでも精一杯踊ってくださっていたと思います✨
人前でパフォーマンスをするということは、自分自身のかけらの一部を曝け出すこと。
いやもちろんあけっぴろげにはしないでしょうが…上手下手関係なく、いくら隠していても滲み出てくるものがあるように感じます。
だから、表現することに緊張したり、不安になったりするのはごく自然なこと。
自分のかけらをポロッと表現したときに、周りからそれについて何か心無いことを言われてしまったら?
もしかすると、それが自分のすべてに対する評価であるかのように感じて悲しくなってしまうかもしれません。
一生懸命やったことをバカにされたり笑われてしまったら、「もう2度とやるもんか!」とトラウマになるかもしれない。
(一般の人も来るレストランショーなどではダンサーの外見や技量への心無いジャッジはたまにあること)
だから多くの人は、全力で自分を表現することから距離をおきたがります。
批判されることを恐れる人は自分を小さくみせ、まわりに自分を小さく見積もってもらうことで「期待はずれ」と思われることに予防線を張るんですよね。
その意味では、ベリーダンスを人前で踊るなんて、まさに対極にあるもの。
私もいつも自分を表現するときは怖いです。
悪く思われないだろうか?裏で色々「あの人下手だよねー!」とか「あそこ失敗してたねw」とか悪口言われてないだろうか?とかね😎
実際そういうのはよく見てきたし、まぁきっと私も言われてるんだろうなとは思う。
でも!自分がよりよくいるために必要な自己表現した結果なら、たとえうまくできなくたって、周りの人に批判されたって、それは仕方ないんです。
というか、そうと思っていないとダンスどころか必要なことすら言えない。
私が生徒だった頃から、ハフラのあと落ち込んでしまってレッスンに来なくなる人はよく見てきました。
これまで傷つかないように当たり障りなく自己表現を回避してきた人とかは、セルフイメージと実際挑戦してみたときの自分とのギャップに耐えられなくなってやめちゃうんだよね…
たとえ周りに何か言われたり批判されたりしたわけじゃなくても「周りからのリアクションが薄かった」と感じると、褒められなかった=否定されたと受け取る自分が、自分の最大の批判者になってしまったりして。
ダンスが好きという気持ち以上に、「無視されたくない」「否定されたくない」「傷つきたくない」という気持ちが勝ってしまうと、前に進めなくなってしまうのかもしれないです。
なんか色々言われるのが怖い、失敗するのが怖い、嫌われるのが怖いと思う気持ちは、多かれ少なかれ誰でもあって、
特に初めてのことをやるときには、そんな「怖い」や「不安」がつきものなんですよね。
だからそれと向き合ってそれでも「やる!」という覚悟や勇気を出し続けている人は、ご褒美的に、ありのままの自分に自信が持てるようになっていくんだと思います。
表現することは「怖さ」がつきものだけど、それと同時に「開放感」もくれるから…
怖いという気持ちを抱えながら人前で踊り続けることには、きっと自己受容の癒し効果があるんだと思っています。
大きなステージではないからこそ、当事者以外の観客を入れないからこそ、比較的緊張せずに踊れる場がハフラです。
表現する怖さと楽しさにすこしずつ慣れていきましょう✨
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定期クラス ◆火曜日19:00『Relaxing Bellydance』 個々の苦手テクニックの克服と、得意テクニックの上達を目指します。 ◆火曜日20:30『Goddess Bellydance』 なめらかな腕の表現を学ぶとともに、動きの「つなぎ」にフォーカスしていきます。 ◆水曜日(1・3・5)14:00『Bellydance Wellness』 フェミニンムーブメントと呼吸との連動を学びます
多くの人が「自己表現をしたい」と言いつつも、「じゃああなたが表現したい自己とは具体的に何?」 と聞かれるとはっきりとは答えられません。 「自分らしさ」はよくわからないから、代わりに「理想の自分」を語ってしまったり。 「こう思われたい」はあるのに、「これが自分」はなかったり。 何十年も生きている大人が、自分とはどんな人間か?を深く考えないまま、言語化できていない状態で、自分を他人に表現することができ