風の時代に踊る人、踊らされる人
「風の時代」と言いながら、「水」や「土」の価値観でスピリチュアルを理解している人がすごく多いなぁと、YouTubeのスピ系チャンネルのその影響力の大きさに怖さを感じているここ数年。
いちおう占いというカテゴリでお金をいただいている以上まったく無知ではいられないので、世の中の流行というか…定期的にスピ動画のリサーチはするのですが、ここ2~3年くらい「風の時代」に便乗してスピ系と宗教系が無法地帯と化しているのを感じます。
ついつい同じような煽る系タイトルで、同じような内容の動画ばっかり見てしまっていませんか…(それ生成AIが作っているかもよ?)
スピ動画をつい流し見してしまう人やこれからの時代への不安が強い人は、とりあえずYouTubeのスピ系チャンネルにあおられるのをやめて、いったん冷静になってみましょう。
「風の時代」をネタに、選民意識や不安をあおる動画を作っている人は、(たとえ本人に悪意がなくても)それが再生回数が稼げる=お金になることを知っています。
自己肯定感が低く「不安」が強い人、現状を変える行動力を持っていないのに「欲望」が強い人ほど、むさぼるように自分を肯定してくれる動画を観て、スピリチュアルにお金をたくさん払います。
不安(感情)=水的スピリチュアル
欲望(物質・承認欲求)=土的スピリチュアル・水的スピリチュアル
「絶対的な正解」も「上下関係のある構図」も土の時代のスピリチュアルの在り方です。
(「これをやればあなたも目覚める!」みたいなやつとか、「あなたたちは特別な存在(他とは違う)です!」とか、組織的な構図になってるオンラインサロンとか…そういう系)
誰かを妄信したり依存したりするのは、「精神的な依存(心のよりどころ)」を自分の外側にみつけようとする水的スピリチュアルの在り方です。
(「私は●●(すごい人)の生まれ変わり」とかで自分を信用させる系、ファン同士の熱気がすごくてコメント欄がやばいとか)
土的スピリチュアルや水的スピリチュアルを否定しているわけではなく、これからの風の時代に乗って生きたいといっている人が「土や水の価値観で理解した気になる」のはどうかな…??という話です。
あくまで「風の時代を楽に楽しく生きるためには」という前提で考えたときには、風のスピリチュアル感をインストールしておくのがやっぱりいいですよね。
「私」というデバイスは古いOSのままでもまぁ動くかもしれないけど、もったりしてたり、新しいアプリが使えなかったりして、快適かといえばたぶん違う。
風の時代のスピリチュアルとは、「ニュートラル」「個人の尊重」「自己責任」です。
風の時代のスピリチュアルは教祖様をあがめたりしませんし、善悪や損得によってわけられる世界観ではありません。
(損しないように、とか自分だけが得しようとする傲慢さを手放さないととしんどくなる時代)
誰かと競ったり、目標に向かってストイックに努力するようなギラギラした「土の時代」のやり方を続けていては、壁にぶつかったりどこかに無理がきてしんどくなってきます。
風の時代の努力という言葉の定義は「しんどいけど目標のために我慢してがんばること」ではなくて「好きだから、楽しいからがんばっているだけ(その結果いつのまにかいい感じになっていた)」です。
世界のさまざまな事柄について、一つの側面だけで物事を「わかった気になる」ような単純な生き方をしてきた人も風の時代にはしんどくなります。
他人から単純な答え(正解)をもらおうとする人はコスパやタイパを重視するあまり視野が狭くなり、「他人をコントロールしようとする人」に騙されたり、「より良い答えを持っている人」から敬遠されたりして、結果的に不利益を被りやすくなります。
真実はシンプルで、そしてとても複雑。この矛盾するようにみえる両極をひとつのものとして理解することが風の時代のスピリチュアルだからです。
その人個人の選択を尊重するので、頼まれてもいないのに不幸そうに見える人を助けたりしませんし、誰かのために自己犠牲を払うこともしません。
他人より優位に立つために「自分がいかにすごいか」を主張する必要はなく、「無害ないい人ポジション」になって従属することで優位なポジションを獲得するやり方にもメリットを感じられなくなってきます(それは土の時代のやり方)。
みんな「自分で決めてその選択をしている」という前提で、だからその結果がどう出たとしても自己責任、という考え方は一見冷たいように感じるかもしれませんが、「自分の人生に責任を持つ」という風の時代には当たり前の価値観です。
そして、自分の人生をより良くしていくと決めた人には、そのチャンスがたくさん転がっているもの風の時代ならでは。
チャンスもリスクもゴミも等しくたくさん転がっています。それを掴むか掴まないか、何をつかみ取るのかは個人の選択次第だよという世界観です。
だから「視野が狭い」と風の時代には生きづらくなるんですね。
「みんなにとって正しいこと」なんてないので、他人の生き方にいちいち口を出したりおせっかいを焼いたりはしません。
みんな自分にとって必要な経験を選んでしていると思えば、たとえ「なんか違うな」「この人大丈夫かな」と思っても相手の選択を信頼して、自分の考えと合わなければただ距離を置くのみでOKです。
違和感はあなたに合わないサインというだけで、それ以上でもそれ以下でもないからです。(良い悪い、正しい間違っている、とジャッジするのは土の価値観)
元企業のSNSマーケティングを担当していた私が、風の時代について語ったところで何の得にもならない立場から、最近の「風の時代スピ商法」について感じたことを思いつくままに書いてみました。
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